うえ間はるの内宇宙
私の心模様を振り返ってみます。幼年期の不思議な出来事から始まる「新しい言葉」を探す「うえ間はる」の人生の旅です。
幼年時代
初めに言葉があった。
バス停の近くにある木陰で 何人かが柔らかい口調で話している。そこから丸いものが弾んで 車道へ転がってゆく3歳ぐらいの女の子が追う。
「危ないよ」
子供を制して 車道へ向かう私も 未だ幼稚園生だ。もっとも当時の田舎道は めったに車が走らない。
それでも親に躾けられたこと 社会のルール。
その丸いものはゴムマリ 女の子の遊び道具。
ビックリして 親らしい人たちのところに戻っている 女の子へ渡す
これが初めての出会い。
ひと通り礼と挨拶をすると一番年長らしい女性が声をかける。
「私たちが分かりますか」
頷く 何者かは分からないが たぶんバスを待っている。地元の人間ではない。そいうのを気づいている。
「あなたは新しい言葉を手に入れます。それまで語ることは止めなさいね」
女性の声に頷くが「無理でしょ」と思う。
見透かしているらしい小学生ぐらいの女の子が言う。
「話すと語るは違います。それが分かるときに新しい言葉を手に入れるから」
分からないが何故か愉快な気持ちになる。
きっと この出会いは悪いことではない。
やがてエンジン音 バスは来たが普通のバスではない。いつも見るバスより小ぶり いくつもあるガラス窓に笑顔が並ぶ。
乗り込む人たち 3歳児の手を引いて最後に乗る女性。
「あなたは語ります。今は忘れなさい。いつか思いだすから」
意味不明 しかし 彼女の笑顔は 「何かを期待している」 と感じさせた。
検証してみる
「日本語」を使っていたか疑問が残る。かといって地元の言葉でもない。 なぜ通じたんでしょうか。
たぶん、単語を並べて通じる感じだったと予想される。言語や人種は不明、それは意味のない事かもしれない。 分かることは「新しい言葉」が話す内容だということ。
少年時代
初めに文字があった それが全ての始まり。
基本的に国語 算数 理科 社会を学ぶ。絵画 音楽 体操と付属する。さて 何が興味を持たせるか。
漫画から絵画へ関心もあるが無器用。無器用が全般に渡るのは確かだ。
音楽 体育なんて身体が着いていけない。
思考は哲学から学ぶことが多い。それで宗教だが、矛盾に気づいてしまった。
やはり興味は漫画へ戻る 欄外記事は参考になる。「文字は言語か」とも考える ある意味で当たっている
少年時代も半ばになると将来を具体的に考える。
「何をやりたい」
「何が欲しい」
この2点を決める。
何をやりたい 自己表現という当たり前のことを思う。それは当然であるし 何で自己表現するか。
何が欲しい 幸せ当然でしょ 幸せの定義として心の安らぎ。
それなら人の笑顔をみたとき。
これで決まる。自己表現の方法を追求して笑顔を他人へ求める生き方です。
文字が全ての始まりだから 詩での自己表現。欲しいのは人の笑顔。それで仕事になるのか。
否 少年時代は純粋にやりたいこと、欲しいものがある 仕事とは何か資本主義では働いて食事や住居にお金を使うらしい。
それなら、仕事はなんでも良い。
ちょっとして間違いは小説に関心をもったこと。一番人間関係と遠縁なのに人間を描けるのか。
どちらにしても経験と数多い出会いを待っていたのが少年時代。
偶然にも「話すと語るは違います。それが分かるときに新しい言葉を手に入れるから」と言ってた女の子に逢った。そのときの言葉です。
『あなたは どこでスタートしますか 何か他人の目を気にしてますか
それより自分を表現する方法が見つかったとき
人は幸せだと感じるものですね
それは あなたが表現方法を見つけたとき
他人の評価を考えるより
自分の思いが上手く表現できたら
朝日は歓迎して迎え入れるだろう』
青年時代
初めに夢があった
当時は その姿がまだ見えない。分かるのは少年時代の思考を実行に移すとき。夢は「自己表現の完成と多くの人の笑顔」
なにをすれば良いか。小さな目標を達成してゆくしかない。社会の歯痒さ 人間の複雑さ。こういうのを解決する単純な答えがある気がした。
やがて夢が具体的な形になるるのは壮年時代。
壮年時代
初めに己があった。
自己表現と人の笑顔を同時に手に入れる方法は難しい。そして初めて自己へ関心を持つ。すべては自分の中で創造する世界。
他人も自分自身の世界を持つ。それなら純粋な自己表現へ戻るのが一番良い。
新しい言葉は「そこから」誕生した。今も壮年時代は続く。
Poetry Talkerポエトリートーカーうえ間はる123/haru-uema-6055672
過去に何を考えていたか。今の「笑顔天然流」にたどり着いた過程を記します。
知識を捨てた十代~無理して覚えなくても記憶は残る。
学校へ通う頃は学びます。奨励されたのが予習と復習。その時に自分はどのように生きたいか「おぼろげ」に感じます。
内宇宙で産まれた思いは「思想」となり、哲学や宗教を参考に一番大切なのは何か考える。やはり「慈悲と慈愛」ですか。なんとなく、このふたつを感じる。
さて、世間を見回すと知識が豊富な方は多い。しかし、辞書を開けば分かる事を並べ立てても興ざめでしょ。それで、覚えるよりは書かれたのを持っておけば良いと考えた。無理して覚えることはない。記憶に残るのは残る「予習と復習」をしていたら大丈夫。
これは今の時代に携帯電話でweb観覧できるようになって便利になったと実感する。
知識より人間として「どうあるべきか」を考え続けていた十代です。
人間とは何者か?~色々・様々な社会を眺めた二十代。
世の中には自分の仕事や仲間と関わる世界しか知らない時は多い。変化を求めた二十代は環境の中で変わる人の姿と変わらないモノを感じる。
人間として共通するのは「欲望」「幸せを願う気持ち」そして「自己表現したい思い」
哲学や宗教では解決されない悩みを持つ方も多い。それは「哲学や宗教」で規則など何かに縛られるから、新たな苦痛が生まれるわけ。
自由といっても我儘だと他人の自由を邪魔する。人間は相手より優位に立ちたい思いも強い。これじゃあいつまでたっても満足できない。
二十代の頃は思考を「なにかひとことで表わせられないか」
とさがしていた。
三十代は悟りながら自己表現を追求する。
どこにいても人間のやることは同じと感じる。「悟り」とはいえないが、ある部分で「完全じゃないのが人間」と納得している。
三十代は他人より自己表現を本格的に追求していくことになる。
ここで問題は人間関係の修復を考えてない。考える余裕も無かったと言える。
十代・二十代のまとめとして、これからの人生を決める時期になる。
琉歌や天然自然を重要なキーワードとして捉えて四十代へ続いて行く。
雰囲気だと決めた四十代~誰のための自己表現かを考える
ある方が「争いも良い雰囲気をお互いに求めれば収まる」と御話しなされた。
これだ!
私がさがしていた「ひとこと」は雰囲気です。
お釈迦さまやキリストも「良い雰囲気」で生きることを教えている。
あの世が何とか決まりごとが何とか、これは信じさせるための潜望鏡。
良い雰囲気を求めれば自然と慈悲とか慈愛は心に生まれてくる。
さて、十代からの思想は形ができた。あとは自己表現。
他人の笑顔を見るためには何をするか。良い雰囲気を作る生き方で良い。
自己表現で可能か。否、そうじゃない、と誰かがささやく。
自分のため、だと幼年時代を思いだした。新しい言葉は未だ見つけてない。
新し言葉は文章修行の果てにある自然体だと理解するのは五十代になる。
詩は言葉と感じる五十代
美辞麗句や難しい文字を並べても気持ちは晴れない。もっと叫べ、と誰かが呟く。
それなら単純に話し言葉で良い。それが「生き方」で良い雰囲気に通じる。
思考と自己表現が一体となる。
ただ、文章でどこまで表現できるか。最終的に歌うしかないか。音程とリズムを楽器に合わせるのは無理だが。
ポエトリーソングの先にあったスポークンワードポエトリーを知るのは六十代。
六十代~迷うことのない人生
曲をかけて朗読する形を実行する。これがスポークンワードと知るのは後日。
これなら思想を表現する形も可能性がでてくる。
良い雰囲気を作る「笑顔天然流」と「スポークンワードポエトリー」そして「現代琉歌」がこれからの生き方の主流になる。
つまりライフワークとして3項目があるわけ。
幼いころからの夢は叶った。これから先の夢は全世界を包む慈しみ
「春緒うるま」としてのネット活動
ハローウルマを筆名にしていた壮年時代。21世紀も近くなるとパソコンを使いたい思いになりました。
それで最初に電話番号も必要となり携帯電話を契約する。未だ機種代が無料の時代です。
携帯電話と同じつながりのインターネット接続サービスを選ぶ。
無料のホームページも付属していて早速ウエーブデビューします。
ただ、ページ数は少ないし、ウエーブのことも知らない。htmlの書き方を覚えたのは良い経験になりました。
文章修行で調べものに使う予定でしたから、最初は自分のサイトを持つことに重きも置きません。しかし、ブログの存在を知るのは時間の問題です。
当時はsnsのツイッターもなかった時代。作品の公開と交流にブログを使おうと決める。ブログサービスも多いけれど、素人が使いやすいのは、と考えてgooブログを選ぶ。本当の意味でネットデビューです。
gooにはsnsがありました。「ひとこと」と呼ばれるグーホームをさっそく始めます。「うるま」が名前になります。この写真がプロフィールに貼ってあった。
ソーシャル・ネットワーク の良い面と悪い面を経験することになります。
慣れてくると検索サイトの大手Yahooのブログへ興味持って開設。日記みたいに続けました。
やがてツイッターが評判になり、登録する。それからはsnsやブログなど多数に登録したが、今は大部分は放置されている。
フェースブックに登録するときは日本語の名前が必要になり「春緒うるま」と筆名を変更する。
投稿サイトも活用していく。主な場所は、この3項目。
2015年
「うえ間はる」に名前を変えて「ポエトリーソングライター」と名乗り活動を始める。
haru-uema-6055672